横浜検疫所
先日、横浜検疫所の移転に伴い大正期の建物が横浜市に移管され、海の公園に移築されることになったとのニュースが流れてきました。
この検疫所は実家から歩いて3分くらいの場所にあり、古い建物も自分の成長と共に様々な思い出があります。
てっきり野口英世博士ゆかりの旧細菌検査室が移転すると思い、現在の場所にあるうちにと見納めに行ってきました。
こちらが旧細菌検査室です。
実家の犬が健在だった1985~95年頃は散歩コースにしていましたが、当時は建物の中は見学できませんでした。
内部の展示物はあったので、期日限定で公開していたのかもしれません。仕方がないので、何度か窓から覗き込んだりしていました。
親が言うには、いつの頃からか入り口を開放して、自由に見学できるようになっていたそうです。
展示については、野口英世博士に関するものと、建物の保存活動に関するものがメインです。
1980年頃から保存活動が始まったとのことで、小学生の頃は本当に廃墟だったんだなと実感です。
エンドレスで説明の音声が流されていて、私が見学していた30分程度の間は他に誰も来ませんでした。
私が行かなければ誰もいないところでずっと説明が流れていると思うと、せっかく公開されているのにちょっともったいない感じです。
で、このblogを書くのにニュースや横浜市のpdfを読み直したら、移転になるのは旧細菌検査室じゃなくて旧長濱検疫所一号停留所でした。
今の鉄筋コンクリートの事務棟ができる前は、旧細菌検査室と同じ時代感(廃墟感)の長屋のような建物が連なり、北側の小高い丘の上には立派な洋館が建っていた記憶がありました。
この旧長濱検疫所一号停留所も、平地にあった長屋と同時に立て替えで撤去されたと思っていましたが、事務等の後ろに隠れるように現存していたんですね。外部からはほとんど見えませんが、年に一度くらい公開していたそう。
位置関係はgoogleマップの航空写真と①~③の写真のとおりです。
ちなみに③の写真で見えているのはこの部分です。
現地で「この辺にあったはず」と建物の隙間から覗き込んだ甲斐がありました。屋根の部分がニュースの写真と一致しているので、昔の記憶が正しかったことが証明されました。
中も豪華らしいので、移転されたら見に行きたいと思います。できれば以前のたたずまいを感じさせる高台に移築してくると良いなぁ。
ところで、検疫所の跡地はどうなるのでしょう。旧細菌検査室と後から同じ雰囲気で立てられた音楽堂は残るみたいですが、米軍貯油施設の跡地と繋げて公園になったりするのか、ちょっと興味があります。
「続きを読む」に、自分の備忘録として冒頭の「様々な思い出」を記録しておきます。
小学生当時の航空写真も貼っておきますので、興味のある方は写真だけでもどうぞ。
自分が初めてこの建物を知ったのは小学生の頃、1975~76年くらいだったと思います。
今は工業団地として栄えている幸浦のあたりも、やっと埋め立てが終わって地面ができただけ。この検疫所が海に面していた頃と同様、自宅のすぐ先の検疫所が建物のある突端。今のような立派な道もなく、藪をかき分けた先に廃墟のような建物が建っている場所でした。
小学生たちの間では、「検疫所=病原菌の検査=伝染病の死者=幽霊」という連想がまかり通っていて、昼でも薄暗いそこは、格好の肝試しの場でした。
藪の向こうは検疫所しかなかったので、本来は立ち入り禁止だったと思いますけど、当時の小学生にそんな常識は通じません。(さすがに小柴の米軍貯油施設は「撃たれる!」と噂されていたので誰も近づきませんでしたが。)
親の転勤で8年ほど離れた後、実家に戻ってきてからは犬の散歩コースになっていました。とはいえ、まだ道は通っておらず、小川を覆った鉄板の上を渡って行ってました。
既に保存に向けた活動も始まっていたようですが、まだ廃墟感はありました。この頃まで、古い長屋のような建物も現存し、小高い丘の上に建つ立派な洋館も見えていました。
結婚して実家を出てからも帰る度に犬の散歩で訪れましたが、いつの頃からか長屋や洋館は団地風の宿舎や鉄筋コンクリートの事務棟に建て替えられ、道路も整備されました。並木~幸浦~福浦といった埋立地も賑わい、周辺も公園として整備され、国道16号へ抜ける道ができたことで車の通行も増えて現在に至ります。
今ならデジカメで気楽に廃墟の写真を撮るところですが、当時のことで写真も残さず記憶だけ。
この旧長濱検疫所一号停留所が本当にあったことが確認できたのは今回の収穫です。
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