始めに断っておきますが、私は「中津スバルの濃いスバリストに贈る情報」というblogを毎回しっかり読んでいるわけではありません。今回たまたま見過ごせない記述に出くわしただけで、継続して読んでいればその言葉の裏にある真意をくみ取れるのかもしれません。
しかし、該当の記事だけを読んだ読者に大きな誤解を与えると思われるので、あえて厳しい意見をトラックバックさせていただきます。ココログの不調の所為かトラックバックが送れないので、先方にコメントして当記事のURLを記載させていただきました。
さて、「おまたせしました!レガシィターボの各論とスバリストの定義」と題した2009/7/3の記事から問題の部分を引用させていただきます。
----(ここから引用)----興味の無い人にはどうでもいいことかもしれないが笑わないで聞いて欲しい。
スバラーとスバリストの違いを。
スバラーとは。
レガシィが発表になり、
インプレッサがラリーで活躍し始めてから、
スバルに興味を持ち始めたスバル愛好家の人々をいう。
~中略~
対する
スバリストとは。
レガシィ登場以前より、スバルが好き。
もちろん、スバルサインがどういうものか良く知っていて、
実際にしたことがあるヒト。(注:スバルサインとは?)
もしくはそれらの人々の子孫で、
今現在もスバル乗りである人々。
新型レガシィを、
すんなり理解できるヒトと
そうでないヒトの差は
スバリストかスバラーかの違いに思えてしょうがないこの頃だ。
----(ここまで引用)----
この考え方をする方は希にいますが、私は一切認めません!
「認め難い」とか「認めたくない」とか軟らかい表現ではなく、自身のスバリストの誇りにかけて全力で否定します!
正しいスバリストの定義はこうですよ。
「スバリスト」とは現在、東京農業大学名誉教授・後閑暢夫さんが1975年のカートピアNo.31号誌上の「スバルは紳士の乗り物」という投稿で名付けた言葉。「クルマに対する高い見識を持ち、紳士的な運転をするスバルユーザー」を指します。~「cartopia」2006年1月号より引用~
真のスバル好きなら、いつからスバリストになったかなんて問題ではありません。
以前も当blogに引用させていただきましたが、大事なことなのでもう一度載せときました。
本当は「スバラー」という言葉を使うこと自体も疑問ですが、あえて「スバリスト」と区別するなら以下のような考えの方ではないかと思います。
◇水平対向じゃなきゃスバルじゃない
◇AWDじゃなきゃスバルじゃない
◇ターボじゃなきゃスバルじゃない
確かにこういった人達のほとんどはレガシィ、インプレッサ以降にスバルを知った方でしょう。その一方向から見るならば、中津スバルさんの切り分けもあながち間違いでないように見えます。
が、たまたまスバルに触れる機会がなかった方がレガシィやインプレッサのヒットでスバルを知り、スバルのクルマ作りや理念に共感を持ってスバリストになったというケースも多々あります。私の友人にもこういった方は実際にいます。
彼らを否定するような考え方をスバリストの鑑たるべき中津スバルさんのblogで読もうとは、正に「絶望した!」気持ちです。
ただ、同じ2009/7/3の後半では
----(ここから引用)----ヒトの世界の「スバリスト」と称される人々もスバル大好きだ。
スバルの個性をこよなく愛し、
あまりに革新的なスバルに出会うと、時には戸惑いながらも、
賞賛と共に、作り手に向けて強烈なメッセージを放つ。
そしていつの間にか、スバルの真髄を理解して同化する。そんな孤高な存在をスバリストと呼ぶ。
----(ここまで引用)----と語られているので、本質の所は分かっていらっっしゃるんだと思います。
スバリストをスバルに乗り始めた時期で分けることだけは止めていただきたいです。だいたい、そんな考え方では少子高齢化に伴ってスバリストは減る一方だし。\(^o^)/
スバル車に関わる者なら、スバルを知らなかった人にもスバルの良さを説き、真のスバリストを増やすことこそ使命だと思いますよ。
ちなみにタイトルは週刊少年マガジンに連載している「さよなら絶望先生」を元にしています。
タイトルのニュアンスが気になる方は、マンガ喫茶などでちらっとでも読んでいただけると助かります。
以前も「絶望した!」ってタイトルにしたら、元ネタをご存じない方から「あまりに激しいタイトル」と言われてしまったので。(^^;)
(byぶらっと)
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