一式戦闘機『隼』を見てきました
来週から公開される映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の撮影用に製作された1/1スケールの『隼』が展示されていると知ったのが一昨日。そして昨日、東京・木場の深川ギャレリアまで急遽行ってきました。『隼』といえば、富士重工業の前身である中島飛行機の傑作機です。映画に対する興味ももちろんですが、スバリストとしてSUBARU前史への興味も大きく「とにかく行くぞ!」と。(^^;) 「男たちの大和」のロケセットを見に行ったときの経験からものすごい混雑を予想しましたが、朝一に行ったためかガラガラでした。
操縦席の後ろに水メタノールタンクへの注入口があること、20ミリ機関砲に換装されていないことから、再現された機体は三型甲のようです。スライド式風防に設けられた水メタノール注入用の蓋、空中線の引き込み用碍子、スピナー先端の発動機始動装置の受け金など、非常に細かい部分まで作りこまれています。転覆時に使用する胴体左側面の非常脱出孔もうっすらですが再現されている反面、『隼』の大きな特徴でもある蝶型空戦フラップが省略されているのはちょっと残念。撮影用ということで、スクリーンに映った時の見栄え重視なのでしょう。しかし、それを差し引いても『隼』の実際の大きさを間近で感じられたのは嬉しいことです。
零戦に次ぐ生産数故に大戦末期には多くの機体が特攻に使われたそうです。狂気とも言える戦争の中で、国や故郷、家族など守るために命を懸けた方達がいた歴史の続きで今の平和な生活があります。戦後60年を過ぎて戦争を体験した世代が減りつつある昨今、戦争の悲惨さを伝える映画が多く作られるようになったと感じます。一昨年暮れの「男たちの大和」や昨年の「硫黄島からの手紙」も非常に重い内容でしたが、今回の映画も劇場に足を運び、しっかり受け止めたいと思っています。
ちなみに2機作られた『隼』は鹿児島の知覧特攻平和会館に展示されることになっていて、1機は2月時点で先に引渡しが済んでいるそうです。特攻隊員の遺品や関係資料も展示しているそうですので、機会があれば行ってみたいと思います。
(byぶらっと)
【2007/5/8追記】 LEGACY BLOGで「ゴールデンウィークのベストショット」というトラックバックキャンペーンを行っていました。諸般の事情からLEGACY NETWORKには参加していないのでキャンペーンへの応募資格はないのですが、せっかく『隼』の写真が撮れたので締め切り後にこっそりトラックバックを送っておきます。(^^;) 文章の都合で使いませんでしたが、sakusakuのヴィンちゃんと撮ったこの写真がベストショットかな。平和そのものな満面の笑顔に、辛い歴史も少しは癒されます。
| 固定リンク
コメント
今日から公開ですね。地元の映画館で放映されるので見に行きたいです。本当は、この映画で本物のアメリカで復元された「隼」を使おうと計画があったそうですが、時間が掛かるのでやめたそうです。アメリカで復元された隼ですが、エンジンが、アメリカ製「P&W・R-1830」1200馬力搭載で千島列島にあった旧日本陸軍飛行場から残骸を元にして部品を作り完成させました。実際に飛行可能ですが、地上走行テストして脚が折れ修理したそうです。航空ファンでこの隼について詳しく書いております。
「隼」を復元したアメリカの航空機製作会社は、この「隼」を売却したがっていますが、私は、疑問に思う事が1つ、この「隼」中島飛行機の後身会社である富士重工へ許可とって作ったのでしょうか?1995年頃、復元した飛行可能な零戦で太平洋横断飛行計画があり、零戦を復元する時、三菱重工へ協力を得てやったそうです。
今回のアメリカの復元「隼」については、富士重工の協力していなさそうなので、ライセンス・版権問題が気になります。復元飛行可能な「隼」を売却したいのなら最初に無償(ライセンス料代わりに現物を渡す。)で飛行可能な「隼」を富士重工で納めて欲しいです。そうすれば群馬製作所矢島ビジターセンターか宇都宮製作所で公開展示出来ると思います。
富士重工が飛行可能な「隼」を所有して貰いたいです。以前富士重工は、飛行可能な旧陸軍「4式戦疾風」を所有しておりましたが、京都の嵐山博物館へ売却され、その後、鹿児島知覧特攻記念館で展示されております。現在、三菱重工は、零戦を復元所有し、ドイツのメッサーシュミット社は、Me109を復元し所有しております。富士重工だけが第二次大戦機を所有しておりません。富士重工が4式戦疾風を売却しなければ良かった、そうすれば「疾風」は、群馬でも宇都宮でも見られたのですから残念に思います。
投稿: 埼玉在住fromSAITAMA | 2007年5月12日 (土) 05時02分
アメリカのは「復元」というより「新造」ですね。うちにあるこの本にも詳しく載っています。
隼の新造については、特に富士重工の許諾は必要ないと思いますよ。中島飛行機は既になくなった会社ですから。(^^;)
中島飛行機については、大鑑巨砲主義の時代にいち早く飛行機に着目した中島知久平氏の先見性と、今のスバル車に繋がる“モノ作り”の文化を語り継ぐのが重要であり、“戦争の道具”を作っていた過去に固執するのは良くないというのが私の考えです。そういう意味で隼の「人間重視の設計」も、「人間を犠牲にして性能を上げた」といわれる三菱の零戦と比べて、今のスバル車に通じる文化を学ぶ事例として捉えています。
「中島的な思想」を引き継ぎながら、悲しい歴史を背負った戦闘機そのものは持たない富士重工は立派だと思います。(まぁ、実際はそれだけじゃないんでしょうけどね。)
投稿: ぶらっと | 2007年5月13日 (日) 23時34分